キャラクター小説と探偵小説
もうこんなことは誰でも分かってることだと思うが、私は最近知ったことなので、敢えて記す。
最近、めんどくさい本を読むのに疲れて、楽そうな本を数冊買ってきた。いわゆるキャラクター小説。といっても、ラノベ専門のレーベルではなく、文芸・総合出版社の文庫。
ラノベからスタートして有名になった作家に桜庭一樹や有川浩等がいる。その次のどじょうを、各出版社は狙っている。
キャラクター小説(≒ライトノベル)には探偵小説が多いらしい。
昔、小林信彦が書いていたが、探偵小説(推理小説)には最低限の面白さはある。つまり、謎解きや犯人探しという少なくとも一つは物語を推進させるエンジンを積んでいる。だから、最低限は必ず面白い。
次に、探偵小説の主人公(探偵)は奇人変人が多い。シャーロック・ホームズ、エルキュール・ポアロ、明智小五郎、金田一耕助、御手洗潔……。みんな奇天烈だ。それでいて、抜群の推理力を持つ。換言すれば、奇人変人が名推理をすると、ギャップが激しくて目立つ。
相手役は凡庸である。もっと言えば、鈍感と言ってもいい。ここでは二つにしぼるが、ホームズに対するワトソン、北村薫の「私」などは、極めて凡庸に描かれる。彼らは決して頭が悪いのではない。ワトソンは医者だし、「私」は、テクストに一回も明言されていないが、早稲田大学の生徒(及び卒業生)である。なのに、平凡に描かれるのは、読者に事件や状況を飲み込ませるためだったり、場合によってはミスリードさせるためだったりする。
彼/彼女が凡庸だからと言って、魅力的でないわけではない。むしろ、魅力がありあまったりする。
古い話だが、北村薫がまだ覆面作家だった時、あれらの小説は若い女の子が書いてると思ってた人はたくさんいた。その上でファンだと言う人も多数いた。私はおっさんが書いてると分かっていた。たぶん、秋元康やつんくの書く詞を読んでいたからだろう。女の子のふりなんて簡単なのだ。でも、女の子と信じた人は多かった。そのくらい、あの「私」は魅力的なのだ。
閑話休題。
つまり、奇人だが天才的な探偵と、凡庸だが魅力的な相方という組み合わせが探偵小説には不可欠なのだ。それはつまり、キャラが立ってる登場人物がすでに二人出来上がってるということである。
それに、先に話した、最低限面白い話を組み合わせれば、安いラノベなんて簡単に作れるのだ。
というわけで、ラノベに探偵小説が多い由来には関する話でした。